
熱 意を持って伝えるのは良いこと
前提として、自分たちの作ったゲームを自信を持って「面白い」と思うのは素晴らしいことであると私は思います。ただ…。
なぜ、「めちゃくちゃ頑張っている」「ゲームとして奥深い」という自信を持って面白いと言っている売り手(開発チーム)へ対して「胡散臭い」と感じてしまうのでしょうか?
…これは決して天邪鬼な心理がはたらいてるわけではありません。
答えが先に提示されてしまっている
本来、ゲームの面白さは「遊ぶ側」が試行錯誤して「発見する」ことで生まれます。名作といわれるゲームの一部は、その「発見する」ことすらもコントロールして、まるでユーザーが自力で発見したようにするも上手いのです。
これを売る側(ゲーム開発陣)から「このゲーム面白いものですよ」と言ってしまうと、押し付けられているように感じたり、「発見する面白さ」を減らされている感覚になったり、強制されていると感じてしまう可能性があるんです。
過去の経験から懐疑的になっている
ゲームを遊ぶ人たちに限らず、様々なモノを見たり聴いたり遊んだりしてきた人は、過去に「これはいいものですよ!」といわれて手に入れたが、実際はショボくて骨折り損だった…という経験を少なからずしてきています。
ゲームで例えると
- 広大なオープンワールドです!→実際は広いだけの中身スカスカ
- 画期的なシステムを導入しました→やってみるとただ複雑でわかりにくかった
- 君の知るアローラではない→8割知ってたアローラだった
開発陣との解釈のズレ
開発者が言う「楽しさ」と、プレイヤーが求める「楽しさ」は、しばしば衝突します。実際、「なんでこんなもん導入したんだ」とプレイヤーが批判的に思う要素が、開発陣にとっては「そんなふうに思われるのは想定外だった」なんてことが、インタビューやパッチノートなどにて判明することが多々あります。
モンハンワイルズで操虫棍の舞踏跳躍が、ユーザー希望で復活したことは記憶に新しいですね。
確かに、世の中「顧客が要求したもの」が必ずしも「顧客が本当に求めていたもの」ではないため、顧客が本当に求めているものは何かを考え、結果的に要求していたものと別物が導入されていることがあります。
ただしそれは、別物が導入されていることで「本当に求めていた要望や不満」を解消することが前提となるため、「顧客が要求したものは導入しないべき」という話にはなりません。

どんなものかは、プレイ映像を見せたりゲーム内容の紹介してくれればユーザーは自分たちの価値観をもって自力で判断します。
「自分の感性で評価したい」という消費者心理を持ち、過去の購入してきたモノから学習した人であれば胡散臭く感じるのは当然。
どうにか開発陣は自分達のゲームに対し「めちゃくちゃ頑張っている」「ゲームとして奥深い」など誇張宣伝に見える紹介は控えて、端的に淡々とゲーム情報を紹介するだけに留めてほしいですね。






















































































